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生命保険会社が破綻したら契約はどうなるのか
生命保険は、10年、20年、場合によっては一生涯にわたる金融商品です。それだけに、「もし加入している生命保険会社が途中で破綻したら、これまで払った保険料はどうなるか」、「死亡保険金や入院給付金は受け取れなくなるか」など、不安に思うかもしれません。 結論からいうと、生命保険会社が破綻しても、その瞬間にすべての保険契約がなくなるわけではありません。日本には、契約者を保護する仕組みがあり、救済保険会社への契約移転などによって、原則として契約の継続が図られます。救済保険会社が現れない場合でも、「承継保険会社」や生命保険契約者保護機構が契約を引き受ける仕組みがあります。 ただし、ここで注意したいのが、「契約が続く」=「破綻前とまったく同じ条件で続く」ではない という点です。今回は、生命保険会社が破綻した場合に契約者の身に何が起こるのか、4つのケースを通じて見ていきましょう。 1. 生命保険会社が破綻しても契約はすぐには消えない 日本国内で生命保険業を行う生命保険会社は、生命保険契約者保護機構に加入しています。 2026年4月1日現在、その会員数は41社です
22 時間前読了時間: 11分


生命保険会社の変遷(自由化以降)
この記事では、自由化以降に生命保険会社がどう姿を変えてきたのか、その「変遷」を整理していきたいと思います。整理していて思ったことは、生命保険業界は、損害保険業界のような「再編」はしていない、ということです。 損害保険業界は、十数社が3つのメガ損保グループへと集約される、劇的な再編を経験しました。ただ、生命保険業界では、会社が合併で消えていくというより、大手・中堅生保がグループ内に別会社を設立・買収して「拡大」していく傾向が強く、自由化前と比べてむしろ会社数は増えています。一方、経営が苦しくなった会社は外資系の受け皿へと引き継がれ、昔からの会社も名前を変えて存続している例が多く見られます。損保のような極端な寡占市場にはなっていないのです。この記事では、変遷図(サムネイル)の分類に沿って、調べてわかったこと・気づいたことを順に見ていきます。 その前に、なぜ「破綻」が起きたのか 変遷を追う前に、1990年代後半に相次いだ生命保険会社の破綻について、背景を簡単に触れておきます。バブル期、生命保険会社は高い予定利率、すなわち保険料の計算上あらかじめ見込む運
7 日前読了時間: 7分


保険自由化が生命保険業界に与えた影響
戦後、日本の保険業界は長らく「護送船団方式」のもとで発展してきました。各社の商品には大きな違いがなく、生命保険といえば営業職員(生保レディ)が家庭を訪問し、一人ひとりに保険を提案するという販売スタイルが当たり前の時代でした。 1996年の保険業法改正を契機とする「保険自由化」は、その常識を大きく変え、医療保険やがん保険では外資系を含む生保会社・損険会社が競争するようになり、銀行でも生命保険が販売されるようになりました。さらに、来店型保険ショップやインターネット販売が普及し、契約者自身が複数の商品を比較して選ぶ時代へと変化していきます。 今回は、1990年代以降の保険自由化が生命保険業界にもたらした変化を「制度」「商品」「販売チャネル」という視点から振り返ります。 1. 「営業職員」が主役だった時代(~1995年頃) 戦後から1990年代半ばまで、日本の生命保険業界は護送船団方式のもとで運営されていました。監督官庁による厳しい行政指導の下、各社は横並びで事業を行い、価格競争や過度な商品競争はほとんどありませんでした。販売の中心は営業職員であり、生命
8月25日読了時間: 7分


戦後、生命保険はどう家庭に広がったのか - 「生命保険大国」日本をつくった営業職員 -
前回は、明治時代に西洋から生命保険という仕組みが伝わり、日本で近代的な生命保険会社が誕生していった歴史をたどりました。しかし、生命保険会社が存在することと、多くの人が生命保険に加入することは同じではありません。生命保険が本当の意味で日本社会に根づいたのは、第二次世界大戦後のことです。戦後の混乱から復興し、高度経済成長を迎えた日本では、生命保険は急速に一般家庭へと広がっていきました。その普及を支えた大きな存在が、家庭や職場を一軒一軒訪ねて保険を販売した女性の営業職員、いわゆる「生保レディ」です。現在ではインターネットや保険ショップ、銀行、代理店など、さまざまな場所で生命保険を契約できます。しかし、かつての日本では「生命保険は、人が人に会って売るもの」という時代が長く続きました。 今回は、戦争で大きな打撃を受けた生命保険業界がどのように再出発し、やがて日本が「生命保険大国」と呼ばれるほど保険が普及していったのかを見ていきます。 1.戦争ですべてを失った生命保険業界 1945(昭和20)年、日本は終戦を迎えます。戦争による被害を受けたのは、生命保険会社
8月18日読了時間: 11分


日本における生命保険の歴史 - 西洋から伝わり、日本独自の発展を遂げるまで -
前回の記事では、生命保険が古代の相互扶助から始まり、統計学や確率論の発展によって近代的な制度へ進化した歴史をご紹介しました。しかし、どれほど優れた制度であっても、それだけでは社会に定着しません。日本人にとって「生命保険」という考え方は、どのように受け入れられ、現在の「生命保険大国」と呼ばれる国へと発展していったのでしょうか。 今回は、西洋で生まれた生命保険が日本へ伝わり、明治時代から戦前にかけて独自の発展を遂げるまでの歩みをたどります。 1.福澤諭吉が日本へ紹介した「生命保険」という考え方 日本で初めて生命保険を紹介した人物として知られているのが、慶應義塾の創設者・福澤諭吉です。1867年(慶応3年)に出版した『西洋旅案内』では、銀行や郵便制度、株式会社と並んで、西洋の「保険」という仕組みを紹介しています。福澤は保険を「災難請合(さいなんうけあい)」と表現し、多くの人が少しずつお金を出し合い、不幸に遭った人を助ける合理的な制度として説明しました。当時の日本では、まだ「生命保険」という言葉さえ一般的ではありませんでした。それでも福澤は、近代国家を築
8月18日読了時間: 6分


生命保険の起源 - 助け合いから数理へ発展した生命保険の歴史 -
生命保険は、いつ生まれたのでしょうか 生命保険は現代では当たり前の金融商品ですが、その歴史は数百年、考え方の原点までたどると数千年前にさかのぼります。 「もしものときに、残された家族を支えたい」という思いは、昔も今も変わりません。では、生命保険が存在しなかった時代、人々はどのようにリスクへ備えていたのでしょうか。 その答えが「相互扶助」です。互いに助け合い、困った人を共同で支えるという仕組みは、人類の歴史の中で古くから存在していました。 現在の生命保険は、この相互扶助の精神を受け継ぎながら、統計学や数学を取り入れることで発展した制度です。今回は、生命保険がどのように誕生し、近代的な制度へ進化していったのかを見ていきたいと思います。 1.保険よりも古い「助け合い」の仕組み 生命保険が誕生するはるか以前から、人々は災害・病気・死亡といった人生のリスクに備えて助け合っていました。代表的な例が、古代ローマのコレギア(Collegia)です。コレギアとは職業や信仰などを同じくする人々による団体で、その中には、会員が一定額を積み立てて死亡時の葬儀費用を共同で
8月18日読了時間: 5分
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クライアントに寄り添う
保険業界に特化したコンサルティングファーム
”かどるあ”は、英語のCuddle Up(寄り添う)からネーミングしました。
その名の通り、お客様と一緒に肩を並べて、保険業界の現場でプロジェクトをやりきるファームとして、活動しています。
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